Vol.10
私たちが届けてきた
『先進性』とは
写真左:「大阪タイガース来る」ポスター(1936年)
写真右:ゼロカーボンベースボールパーク
プロ野球草創期に大阪タイガースを創設
1924年に甲子園大運動場(現・阪神甲子園球場)を建設していた阪神電気鉄道は、アマチュア野球人気や米大リーグ選抜チームと日本選抜チームの試合の盛況ぶりを受け、1935年にプロ野球に参入、大阪野球倶楽部(大阪タイガース。現在の阪神タイガース)を設立しました。日本のプロ野球チームで2番目に歴史が長く、今年で創設90周年を迎えます。ちなみに、「六甲おろし」で有名な応援歌「大阪タイガースの歌」は、1936年に甲子園ホテルで初披露されました。
大阪タイガースの歌
世界記録も生まれた日本屈指の大プール
甲子園では野球場のほかにも、戦前を中心に多くのスポーツ施設を運営。球場の西側には甲子園水上競技場(甲子園大プール。1937~74年)がありました。50mの競泳用と25mの飛込み用のプールからなり、ナイター設備や1万人収容のスタンドも備え、明治神宮水泳場と東西の双璧をなす日本屈指の大プールでした。ここで1948年には「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた古橋広之進が800m・400m自由形の世界記録(当時)を樹立しました。
甲子園水上競技場(全日本選手権大会)(1938年)
ゼロカーボンベースボールパークで脱炭素のトップランナーに
2025年、尼崎市に新しい阪神タイガースファーム本拠地として、ゼロカーボンベースボールパークが誕生しました。同市と一体となって、太陽光発電・蓄電池の導入、省エネの徹底等による「脱炭素化」をはじめ環境にやさしい取組みを進めており、プロ野球球団と連携したスポーツによるまちづくり・観光振興・地域活性化と脱炭素の両立を目指す点などが高く評価され、環境省の第1回脱炭素先行地域に選定されています。これからも、阪神グループは脱炭素社会・循環型社会の実現に貢献していきます。
メインビジュアル
120th アナザーストーリー
阪神とウインタースポーツ
阪神グループでは、ウインタースポーツもいくつか手掛けています。
アイススケートについては、六甲山上の新池遊園地において1952年からスケート場を開設していたほか、1971年には甲子園阪神パーク内にテント式室内アイススケート場を開設、1979年には屋外型に改修し、多くの利用者で賑わいました。
スキーについては、戦前の1938・39年に甲子園球場で全日本スキージャンプ大会を開催。温暖な都会でスキー競技大会を開催する「先進性」に加え、はるばる新潟の妙高高原(1939年は城崎)から雪を輸送し、大掛かりなジャンプ台を構築して、全日本クラスの大会を開催したところに阪神の「ほんまもん」気質がうかがえます。その後、高度経済成長期の1964年には、六甲山上に「六甲山<人工>スキー場」を開設。オープン時は、都心に近い立地と当時は先進的で珍しい人工雪のスキー場として人気を博しました。同スキー場は、ペアリフトの新設(1983年)やゲレンデの拡張(1984年)などを行いながら、関西における冬の定番レジャースポットとして親しまれてきました。2013年には「六甲山スノーパーク」としてリニューアルオープン。現在では、インバウンドのお客さまも多く来場されています。スキー・スノーボードを楽しめるのはもちろん、スノーランドでは小さなお子さまも安心して雪遊びをお楽しみいただけますので、冬の六甲山にも是非お越しください。