Vol.05
私たちが届けてきた
『あたたかさ』とは
写真左:旧阪神パーク(浜甲子園阪神パーク:1929~43年)案内図
写真右:ビルボードライブ大阪
エンタテインメント事業の第一歩は海水浴場
阪神グループでは、120年にわたり様々なエンタテインメント(娯楽施設)を提供してきました。最古は、鉄道開業と同じ1905年に開設した打出海水浴場。2年後に香櫨園海水浴場へと移転した後、1913年に廃止された香櫨園遊園地の音楽堂・公会堂を同所へ移設し、払下げを受けた西宮旧砲台跡地をビヤホールとして活用するなど、多くの海水浴客で賑わいました。現在まで続くエンタテインメント事業の先駆的な取組みであったと言えます。
香櫨園海水浴場 音楽堂
一大レジャータウン・甲子園
また戦前は、甲子園地区で一大スポーツ・レジャー施設を運営していました。1924年の甲子園大運動場(現・阪神甲子園球場)を皮切りに、陸上・ラグビー・サッカーの競技場として利用できた南運動場、最大で100面を超える規模に拡充されたテニスコートのほか、海水浴場、プール、ホテルなどが続々と開設されました。とりわけ、1929年開業の旧阪神パークは、動物園・遊園地・水族館など、様々な娯楽施設を備えた大規模レジャー施設でした。
南運動場
広がるHANSHINのENTERTAINMENT
平成以降も、音楽分野で、ビルボードライブ(東京・大阪・横浜)やビルボードクラシックスなどのビルボード事業を全国展開しているほか、小学生からシニア世代まで音楽に親しめるミュージックスクールも開講しています。2024年にはインバウンド向け相撲エンタテインメントショーホール「日楽座」を開業するなど、お客様とのつながりを“たいせつ”に、エンタテインメント事業の領域を拡大しています。
THE SUMO HALL 日楽座 OSAKA
120th アナザーストーリー
甲子園南運動場と甲子園線
阪神電気鉄道では、1910年に香櫨園遊園地内にグラウンドをつくって関西最初の野球の国際試合を開催するなど、開業間もない頃から健全なスポーツの振興と国民体育の向上に力を入れてきました。甲子園開発に際しても、当初から枝川鉄橋(現・甲子園駅)以南をスポーツ・センターと遊園地にする構想を持っていた中で、1929年5月に完成したのが南運動場です。球場建設にも携わった技術陣を動員し、約3か月で竣工したこの南運動場は、敷地面積1万坪、1周500m・直線200mのトラックを備え、2万人を収容できる我が国を代表する総合運動場でした。戦争の影響で1943年に閉鎖されるまで、陸上、ラグビー、アメリカンフットボール、サッカー、自転車といった様々な競技が行われました。国際競技も数多く開催され、国内外のトップアスリートによる真剣勝負は多くの観衆を魅了しました。スポーツ以外では、1933年にドイツのサーカス団によるサーカス興行も行われました。
また、甲子園に次々と建設される住宅地、運動施設、遊園地等への輸送力確保を目的に、砂利運搬用として廃川底に敷設済みであった従前の引込線を活用して1925年に開業した支線が甲子園線です。開業時の区間は甲子園~甲子園浜(浜甲子園)間でしたが、1928年には甲子園~上甲子園間、1930年には浜甲子園~中津浜間(同区間は今津出屋敷線の一部として特許。戦時中の1945年に営業休止しレール撤去)の営業を開始し、1975年の甲子園線廃止まで、地域の足としての役割を果たし続けました。昔は電車に冷房がなかったため、少しでも涼しいようにと、夏には「アミ電」と呼ばれた車体側面が金網の電車を運行していた時代もありました。