Vol.04
私たちが届けてきた
『先進性』とは
写真左:開場当時の甲子園大運動場
写真右:阪神甲子園球場
阪神と野球の歴史は香櫨園から
阪神グループと野球との関わりは明治時代に始まります。1910年、香櫨園遊園地(1907年開業)にグラウンドを急造。関西初となる野球の国際交流試合(早稲田大学対シカゴ大学)が盛況のうちに行われました。6年後の1916年、遊休化した鳴尾競馬場の敷地等を借り受け、場内に陸上競技場とともに鳴尾運動場を開設。当時としては設備の充実した野球場2面を併設し、第3回から全国中等学校優勝野球大会が開催されていました。
鳴尾運動場内の野球場
東洋一のスタジアム、甲子園に誕生
年々高まる野球人気で鳴尾運動場では観客を収容しきれなくなり、阪神電気鉄道は新たに大観衆を収容できる野球場の建設を決定。1924年8月1日、甲子園大運動場(現・阪神甲子園球場)が誕生します。着工からわずか4か月余りで完成した総収容人員8万人(当時)の東洋一のスタジアムは、春・夏の高校野球の舞台、そして1935年に創設された阪神タイガース(当時は大阪タイガース)の本拠地として、「野球の聖地」の歴史を刻んでいくことになります。
甲子園大運動場外観
日本が世界に誇れる聖地を目指して
2024年に100周年を迎えた阪神甲子園球場では、高校野球の球児や阪神タイガースの選手が数々の熱戦を繰り広げ、また、様々なスポーツ競技やアーティストのコンサート会場としても多くの感動を生んできました。そして、アルプススタンドへの銀傘拡張計画、環境保全活動KOSHIEN“eco”Challengeなど、次の100年を切り開く取組みもスタートしています。これからもスタジアムの新たな可能性を広げ、「日本が世界に誇れる聖地」を目指していきます。
銀傘拡張計画(完成イメージ)
120th アナザーストーリー
開場後も次々と増改築された阪神甲子園球場
1924年8月1日に開場した甲子園大運動場(現・阪神甲子園球場)は、野球人気の高まりに合わせて、次々と増築・改築を実施しました。まず、1929年にメインスタンドの内部を大改築し、貴賓休憩室を新設するとともに、観衆の利便増進のための改造を実施。更に、築堤式外野スタンドの第1期増設工事が完成し、50段のアルプススタンドが出現しました。1931年にはアルプススタンドに鉄骨スレート葺きの屋根を新設。1936年には、築堤式外野スタンドの第2期増設工事が完成し、外野スタンドも50段に増やされました。
また、当初右中間にあったスコアボードも、1934年にコンクリート製となって外野中央に移され、ヒットなどを表示する赤・緑ランプとボールカウントを、圧縮空気を使った電圧式でネット裏から遠隔操作するなど、当時としては画期的な設備を備えたものに改装されました。